神社修理

津島神社について②

 今回は、彫刻師についてのお話。津島神社の棟札に彫刻師として名を連ねた「上山寅正」とその弟子である「畠山直」は、宮城県では有名な宮彫師です。宮彫師とは、神社・仏閣・宮殿などの欄間や柱などに彫刻を施す職人で、桃山時代から江戸時代に装飾彫刻を専門とする大工が現れて、宮彫師と言われるようになりました。「上山寅正」は「石井寅正」と名乗ることが多く、「畠山直」は雅号として「畠山登雲」と名乗っています。石井寅正は福島県二本松の出身で、仙台に工房を持っていたようですが、師事した宮彫師や来歴については、調べた限りでは分かりませんでした。畠山登雲は津島神社のある宮城県登米の出身で(登雲の「登」は登米に由来するのでしょうか)、石井寅正に師事し、津島神社再建の頃には若干15歳であったようです。下表に、津島神社再建に関わった職人が、これ以降に建設した社寺建築について、石井寅正と畠山登雲を軸に年表形式でまとめてみました。

 石井寅正は、気仙大工の名工と言われる花輪喜久蔵と一緒に仕事をすることが多く、宮城県・岩手県・北海道などに次々と彫刻に溢れる社寺建築を建設しました。そのペースは驚異的で、多くの職人を抱えていたことを想像させます。定義如来西方寺貞義堂や荒雄神社、山神社(やまのかみしゃ)などが有名です。

 畠山登雲は、何歳から独り立ちしたのかは分かりませんが、昭和9年(1934)竣工の瑞雲寺山門では、銘板に彫刻者として単独で名前が書かれています。その後は、大崎や栗原などの県北地域で活躍されたようです。地元登米の羽黒神社も、向拝の龍が畠山登雲の彫った彫刻として有名です。

 また、地元大工として関わった大畑惣治は、その後も津島神社とのご縁が続き、津島本宮社と津島神社の神輿殿に棟梁として関わっています。

 明治から戦前までは、全国各地に名工といわれる職人がいました。宮彫師でいえば、越後の石川雲蝶、山形の高山文五郎などなど。宮城県は石井寅正という突出した宮彫師を輩出し、これに弟子であった畠山登雲が続いたということになります。

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