神社修理

津島神社について①

 これから数回に亘り、修理工事を行っている津島神社について書いてみたいと思います。現在の社殿は、明治45年(1912)の佐沼大火で前の社殿を焼失したため、大正7年(1918)から再建した建物になります。棟札により、本殿は大正8年(1919)、拝殿は大正12年(1923)に上棟したことがわかっています。棟梁は、玉造郡一栗村(現在の大崎市岩出山町)の青木祐太郎(すけたろう)、副棟梁は地元佐沼の大畑幸吉・惣治親子となっています。そして、彫刻師には仙台市の上山寅正の名前があります。上山寅正は、気仙大工の普請に彫刻師として関わることが多かった人物で、宮城県や北海道などに、精緻な彫刻で飾った社寺建築を遺しています。名前は石井寅正と書かれていることが多く、気仙大工の名工花輪喜久蔵が設計施工した神社仏閣にもその名を連ねており、宮城県仙台市の定義如来西方寺の旧本堂や山門などが有名です。棟梁青木祐太郎は、社寺建築はもとより地域の学校建築や公共建築も手掛けた棟梁のようで、ご子孫は現在でも同地で工務店を営んでおられるようです。

 津島神社社殿も本殿・拝殿ともに精緻な彫刻で飾られており、これが建物の特徴となっています。彫刻で飾られた部位とそのモチーフを一覧表にまとめてみました。頭貫や虹梁の懸鼻は全て唐獅子であり、その他の部位では、飛龍、鯉、亀などが繰り返し出現します。少し変わったところでは栗鼠(りす)や千鳥などのモチーフもありますが、これも伝統的な図柄ではあり、他の社寺建築でも見ることができます。なお、主題に組み合わせられる背景は、飛龍と言えば波、鷹と言えば松、鶴と言えば雲という具合に、おおよその決まり事があります。

本殿部位東面西面
頭貫懸鼻唐獅子唐獅子
手挟波に千鳥流水に鯉
蟇股
笈形松に鷹波に亀
懸魚波に飛龍雲に鶴
桁隠し波に亀、波に鯉、葡萄に栗鼠  波に亀、波に鯉、葡萄に栗鼠  
拝殿部位東面          西面            
虹梁懸鼻正面にあり、すべて唐獅子
手挟牡丹に唐獅子、波に飛龍牡丹に唐獅子、流水に鯉
太鼓羽目
(唐破風
虹梁の
上)
司馬温公瓶割図(中国故事)
司馬温公は司馬光といい、北宋の政治
家。子供の頃、大きな水瓶に落ちた友
人を助けるために、石で瓶を割りまし
た。大切な瓶を割ったので、叱られ
ることを覚悟していましたが、父親
は温公を褒めて、改ためて命の大切
さを教えたといいます。
兎の毛通し正面にあり、鳳凰
桁隠し
妻蟇股
懸魚唐草唐草

 この社殿における彫刻の傾向は、植物がメインとなるモチーフは少なく、波や流水と組み合わされる動物や魚のモチーフが多いということ、他に上山寅正が携わった社寺建築と同様に、最も目に留まる拝殿唐破風の兎の毛通しは鳳凰であることが挙げられます。また、龍ではなく、翼のある飛龍の方を好むところは少し変わっています。

 そして、特に彫りの素晴らしさを感じるのは、拝殿向拝虹梁の弓眉に施された高浮き彫りの彫刻です。浮き彫りとは、部材表面に題材が浮かび上がるように周囲を彫る手法ですが、特に彫刻部の肉が平面の上に高く浮き出るように彫るのが高浮き彫りです。虹梁の弓眉であるのにも関わらず、波と千鳥や亀が何層にも重なったような奥行きのある彫刻となっており、それが虹梁から彫り出した彫刻であることに驚きを覚えます。虹梁の幅に加えて、この飛び出す分の厚みを足した幅の材料を用意しなければならないからです。

 社寺建築の新築の図面を書く時、色々な部位を彫刻で飾りたいという願望はあっても、予算の制限があり、限定的に彫刻を付ける計画になってしまうのが現実です。津島神社を含め、明治時代から戦前にかけて建てられた装飾的な社寺建築は、それだけ費用と手間を掛けて建てられた建物でありますし、この時代にはこうした需要があったため、優れた職人がたくさんいたということなのです。建築彫刻の職人は需要の減少と共に少なくなり、今では仕事を頼める工房も限られています。

コメントを残す

*