文化財修理

茅葺型屋根の修理②<修理の方針>

 下荒井観音堂は、昭和29年(1954)に茅葺屋根をトタン葺(亜鉛メッキ鋼板葺)で覆ったとの記録があり、おそらくそれから葺き替えることなく現在に至ったと考えられます。お堂の正面に、茅葺時代の古写真が飾られていますが、トタン葺になった時点で、軒先の形状や隅棟などの外観が若干変わったのが分かります。トタン葺では、軒先に破風板と呼ばれる板を打ち付け、これにトタンの軒先唐草を取り付けて葺き始めとするのが一般的です。茅葺の軒先は、刈り込んで尖っていますので、見た目が違います。また、トタン葺になって、四隅の稜線に隅棟という飾りと隅鬼が取り付けられましたが、茅葺では隅も刈り込んで峰が出てくるだけなので、見た目が違います。会津のような雪の多い地域では、屋根に飾りを付けると、積雪による落下の懸念も生じます。実際、3箇所の隅鬼が落ちてなくなっていました。昭和29年にはまだ文化財ではありませんでしたし、当時のトタン葺の一般的な葺き方で覆ったというわけですが、今回は文化財としてどのような方針で修理するのか、それが重要になってきます。

 また、鋼板葺の中でも耐久性の高いガルバリウム鋼板で葺くことは決まりましたが、定尺判の十文字葺で、向拝の深い箕甲が葺けるのかという疑問もありました。そこで、修理の計画を立てるにあたって、近隣の観音堂や薬師堂を見て回ることにしました。会津若松市内の平沢観音、野寺薬師。会津美里町の相川観音、高倉観音。磐梯町の東方薬師。中でも、国の重要文化財に指定され、平成12年に解体修理が終わっている会津高田町の冨岡観音は参考にさせていただきました。そして、長尺横葺という横に切れ目のない葺き方にすれば、深い箕甲のカーブも上手く葺けるのではないかという結論に至り、また、長らく見慣れた外観ではありましたが、文化財の修理として、軒先や隅棟などを元の茅葺の形状に近づけた方がよいのではないかという観点から、町内会にご相談させていただくことになりました。

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