文化財修理

下荒井観音堂落慶法要

 11月21日(日)に下荒井観音堂の落慶法要に参列させていただきました。読経の際に、蓮弁をかたどった色紙の散華が撒かれ、その後、町内会のご婦人方により御詠歌の歌詠みがありました。御詠歌とは、五・七・五・七・七の短歌形式で詠まれた歌詞を旋律にのせて唱える仏教歌謡のことで、仏の教えや霊場の景観、札所にまつわる伝承などが読み込まれています。一番から三十三番まで(番外まで)通しで詠われます。私は会津の御詠歌は初めてでしたが、淡々とした旋律が美しく、重なった歌声に心地よさを感じました。と同時に、その光景を見て、次の世代には伝わっていくのだろうかと少し心配にもなりました。

 修理工事は終わりましたが、いくつかの疑問点は残りました。一つ目は、天井に描かれた龍の水墨画です。結局、雅号の「峯雪」については詳細が分かりませんでした。他の観音堂に描かれた事例がないのか気になり、「会津寺院風土記」などで調べてみたところ、二十二番相川観音、二十三番高倉観音には龍の天井画がありそうだということが分かりました。このシリーズは地区別で数冊に及びますが、調査が天井にまで及んでいない寺院も多く、この他に事例があったかどうかは何とも言えません。しかし、会津の観音堂に、天井に龍の絵を描く系統があったであろうことは分かりました。

 二つ目に、昭和42年発行の「北会津村誌」には、「奉建立観音堂一宇」と書かれた棟札があったとの記述がありますが、現在はお堂内部や小屋裏にそれらしきものがありません。今どこにあるのか、そして棟札を読めば、関わった工匠のことなど分かることもあるのではないでしょうか。個人的には、他の彫刻の見事なお堂の多くがそうであるように、越後大工が関わっていると思っています。先日、会津若松市文化財保護審議会がありましたが、現在、会津若松市文化財保存活用地域計画協議会が主体となって、「会津若松市文化財保存活用地域計画」をまとめています。その中でも、「指定文化財の現状を把握しきれていない」というのが課題として挙げられていました。本当に、喫緊の課題であるように感じます。

 下荒井観音堂修理工事に携わったからこそ見えてきたテーマを気に掛けながら、これからも会津の文化財に関わっていきたいと思います。

コメントを残す

*