文化財修理

茅葺型屋根の修理①<会津三十三観音>

 会津若松では昨日まで大雪が降っていましたが、12月の雪シーズン到来直前にギリギリで終わらせることができた下荒井観音堂の修理工事について、これから数回に分けて書いてみたいと思います。

 江戸時代初め、全国的に街道の整備が進んだため、伊勢参りや西国三十三所観音巡りなどが盛んになっていました。会津藩祖保科正之は、巡礼により他国に多くの金銭が流れることを案じて、領民が領内で巡礼できるよう、会津三十三観音を定めたといいます。会津は奈良時代からの仏都であり、寺院も多く、信仰の土壌があったのでしょうが、整備の直接的なきっかけは、経済的な理由であったというわけであります。

 下荒井観音堂は第十四番札所で、現在の北会津町にありますが、これは柳津町軽井沢にあった銀山へ通じる街道沿いでした。昭和49年(1974)に北会津町指定有形文化財となり、北会津町が会津若松市に合併してからは、会津若松市指定有形文化財となっています。また、平成28年(2016)には日本遺産として「会津の三十三観音めぐり~巡礼を通して観た往時の会津の文化~」が認定され、構成文化財の一つとなっています。

 昨今の御朱印集めブームにより多くの参拝者がいらっしゃいますが、私たちの親世代まではもっと信仰寄りで、ご近所さんたちとグループを作って、実際に御詠歌を唱えながら巡っていたそうです。特にお嫁さんにとっては、外に出掛ける正当な理由であり、娯楽の意味合いもあったようです。かくいう私は、会津にお嫁に来て十数年が経ちますが、未だ全部は巡れていません。観音堂の建物をじっくり見てしまうし、写真も大量に撮るので、一箇所ごとに時間が掛かってしまうのです。そう言ってもいられないので、春先からまた勢いを付けて巡りたいと思っています。

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